自分の人生の選択は、自分で決めたい。
でも、人は、親や先生や周囲の意見、人の眼差しや偏差値を物差しにして、「その方が楽そうだから、安泰そうだから、その方がきっと良いのだろうから」と、自分の心が納得していなくても、自分自身の声を聞くことすらせず、人の言った方向に進もうとする。
でも、自分の「好き」や「わくわくする方向」を見つけて進んでいけたら、どんなに楽しいだろう。
自分の好きなこと、わくわくする方向を選んで進んだのであれば、挫けそうになっても、また工夫したりやり直してみたりして、立ち上がることができる。
自分らしい人生の選択の連続は、自分らしい幸せにつながる。その時、人は強くなり、人にも優しくなれる。
でも、人が言うから、社会がそうだからと、自分の好きやわくわくに蓋をして諦めて進んだ時、自分が幸せでないと感じたら、それを人や社会のせいにする。
自分の人生なのに、人の人生のように生きてしまった結果。
子どものわくわくすることや、やってみたいことを「そんなものは仕事にならない」などと否定する大人がいる。
でも、子どもの360度周りにいる大人たちが、子どもたちのやってみたい!を応援をしてくれたら、その子の人生は豊かに輝く。
応援する大人たちの力はとてつもなく大きい。
子どもの好きなもの、好きなことを否定する大人は、自分もそうされてきたか、それしかやり方を知らないか、子どもの可能性を信じていない証拠。
今、日本中の先生方から、
「うちの生徒たちはいい子なんです。勉強もそこそこできる。でも主体性がないんです。やってみたいことがないって言うんです」
という声が寄せられてきます。
大人たちが、子どものやってみたい!を無視して、
「こう在るべき!」
「こうするべき!」
「お前のためだ!」
とばかりに、社会の既存のルールや枠組の中に子どもたちをポジショニングし押し込もうとばかりして、子どもたちに考えることをやめさせて、意見を言わなくて済むように育ててきた。
こうやって日本は、「子どもたちからやってみたい!」の気持ちを消し去ってきた。
結果、主体性は世界一のビリ。
子どもたちの中にある「わくわく」する気持ちや、「やってみたい!」という気持ちを丁寧に引き出し、見つかったら、決して、スルーせず、バカにせず、否定せず、やってみたいを応援する。
どんなささやかな「やってみたい!」であったとしても、聞く耳をもって。常識は疑って。
大人たちが自分の「好き」を認めてくれて、聞く耳をもって、自分の「やってみたい!」を応援してくれるとわかった時、子どもたちは自分自身を好きになっていく。
自信を持てるようになる。
自分人生を主体的に生きていく勇気を持つことができるようになる。
消滅可能性都市なんて言わせない。
町や都市を見る前に、目の前の子どもたちの心のど真ん中を見つめることのできる大人たちが、宇和島にいる。
愛媛県宇和島市の取り組みを愛媛新聞が取り上げてくれた。
https://www.ehime-np.co.jp/article/news202208070022