認定NPO法人キーパーソン21

活動ダイアリー わくわくエンジン®ブログ

近藤健瀞(けんせい)さん

2008.05.20

代表朝山ブログ

今年もまた5月20日が来てしまった。キーパーソン21の元副代表理事近藤健瀞さんの命日だ。

2001年6月、「新聞の記事を読んだ、僕に手伝えることがあったらお役に立ちたい。」という電話をくださった。「ぜひお願いします!」そこから、健瀞さんとのキーパーソン21の日々がはじまった。キーパーソン21のNPO法人としての登録の手続きはすべて健瀞さんがやってくれた。それ以来4年間、私は健瀞さんから多くのことを学んだ。いつも傍にいてくれて、いっしょに考え、いっしょに行動し、いっしょに判断し、進んできた。彼なしで今のキーパーソンはなかった。親よりも多くのことを教えてもらい、夫よりも長い時間話しをしたかもしれない。どの友人よりもたくさん笑った。誰よりも尊敬していた。

三菱商事にお勤めで、海外勤務も多かった健瀞さんは、「ずっと日本を豊かにしたいと思って一生懸命働いてきた。しかし、退職するにあたり、日本を留守にしている間に、子どもたちを育てることを、教育することをほったらかしにしていたことに気づいて愕然とした。僕は残りの人生をキーパーソンとともに使う。近所のお掃除をするとか、地雷を除去するとか有意義な活動は多くある。しかし、足りないものを足す仕事ではなく、今をもっと良くする仕事がしたい。キーパーソンはクリエイティブでエキサイティングだ。」と。

病院のベッドでは、さいごの最期まで、キーパーソンのことを、日本の子どもたちのことを、日本の未来を心配しながら息をひきとられた。

どれだけ泣いただろう。涙は止まらなかった。今でも思い出すだけで涙があふれてくる。私にとっては、家族でもあり、師匠でもあり、友人でもあり、同士でもあるかけがえのない大きな存在のパートナーだった。
2005年5月20日は、私の人生の中で最も悲しい日だった。

健瀞さんという柱を失ってからは、苦しいことだらけの日々が続いた。企業活力研究所のある研究会にゲストで招かれ同席くださっていた場で倒れ、救急車で運ばれたのが2月、そしてあっという間に3ヶ月で逝ってしまったのだから、混乱は当然避けられない。しかも、経済産業省のプロジェクトの委託が決まってこれからという時だった。ヘビースモーカーだった健瀞さんの命をもっていってしまったタバコをうらみ、神様を恨み、何度もキーパーソンをやめたいと思った。しかし、悔しい思いをするたびに、苦しくて投げ出したくなるそのたびに、健瀞さんの声を、健瀞さんの言葉を思い出し、踏ん張った。

そんな日々は続いてきたが、多くの方の協力や励ましによって、何とか今も続いている。今年の5月20日は、やっと墓前に「キーパーソンはつぶれず続いています。たくさんの仲間もできました。」と報告できる気がしている。

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