母が弱っている。
入院しているが、医師に年を越せるかなと言われた。
10年も患って病気と闘ってきているので、今となっては、
父と姉と私は、母をいかに生きさせるかではなく、
どうすれば、静かに美しく死なせてあげられるかを
考えて治療を選択している。
母は、優雅で美しい人だった。
だから、子どもの頃、授業参観などで学校に来てくれると、
私はうれしくてうれしくて
いつも自慢でしょうがなかった。
私が小学校1年生か2年生の頃に、
庭に椿の花が咲いていたのを見て、
つばきがちった。
つばきがさいた。
と詩らしきものを書いて母に見せたことがあった。
母は、上手ねえ
と褒めてくれて、
つばきがさいた。
つばきがちった。
の方がいいかもね。
とやさしい声で言ったことを今もずっと忘れられない記憶として
何かの折にふれ、よみがえってくる。
今我が家の庭先には白い椿が静かに咲いている。
私たちは、生き方を考えるのと同様に
死に方も考えなくてはならない。